音が人に影響を与えるひとつの原因は響き。
最近の物理でうねりとか言ってるが、
要は和音の重なり方、和音とは2つ以上の音が重なることで成立する。
また2つ以上の音があった初めて音程が存在する。
音程は2つの音が無いと存在しない相対的な物で、音高(ピッチ)は1つの音自体を特徴付ける絶対的な物である。
その音程によって音の表情が変わるのは周知の事実だろう。
カデンツととってみればわかるが和音は単純に3つの表情に分けることが出来る。
安定:トニック(?
中間的:サブドミナント(?
不安定:ドミナント(?
和声では不協和音の解決をするため必ずドミナントからトニックへ移行する、となっているが、それは誰もがそう思うからだ、と私は思っている。
例えばずっと直線を引いてきたのにいきなり直角に曲がってしまうような、予想された流れと違うからおかしいと思うに違う無い。
それは西洋音楽教育が培ったものなのか、生活に溢れる音楽がそうさせるのか、わからないが習慣・文化として「これが普通」「これはおかしい」という区別がついてしまっている。
もしくは、そんな文化等と言う後天的なものではないかもしれない。
兎も角、数分前鍵盤を無意識に弾きながらこれらが実に上手く精神状態を左右している、と感じた。
導音の後には?が続くはずだし、不協は必ず解決しなければならない。
そして最後には完全に倍音だけで構成されたトニックへ帰着する。
最近の物理でうねりとか言ってるが、
要は和音の重なり方、和音とは2つ以上の音が重なることで成立する。
また2つ以上の音があった初めて音程が存在する。
音程は2つの音が無いと存在しない相対的な物で、音高(ピッチ)は1つの音自体を特徴付ける絶対的な物である。
その音程によって音の表情が変わるのは周知の事実だろう。
カデンツととってみればわかるが和音は単純に3つの表情に分けることが出来る。
安定:トニック(?
中間的:サブドミナント(?
不安定:ドミナント(?
和声では不協和音の解決をするため必ずドミナントからトニックへ移行する、となっているが、それは誰もがそう思うからだ、と私は思っている。
例えばずっと直線を引いてきたのにいきなり直角に曲がってしまうような、予想された流れと違うからおかしいと思うに違う無い。
それは西洋音楽教育が培ったものなのか、生活に溢れる音楽がそうさせるのか、わからないが習慣・文化として「これが普通」「これはおかしい」という区別がついてしまっている。
もしくは、そんな文化等と言う後天的なものではないかもしれない。
兎も角、数分前鍵盤を無意識に弾きながらこれらが実に上手く精神状態を左右している、と感じた。
導音の後には?が続くはずだし、不協は必ず解決しなければならない。
そして最後には完全に倍音だけで構成されたトニックへ帰着する。
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